気まぐれ日記 06年10月

06年9月ここ

10月1日(日)「「数学文化」用の原稿が一段落・・・の風さん」
 朝から冷たい雨が降っていた。お陰で、住居地域の運動会は中止。もうすっかり秋が深くなってきたようだ。
 今日は、朝から原稿執筆に集中できた。と言っても、8月に東大駒場キャンパスでやらせてもらった講演の原稿化である。何を今頃・・・と言われても仕方ない。とにかく仕事がのろいのだ。
 実際に講演で使ったスライドの中から、原稿化に向いている絵や写真を選んで、原稿の中で説明する。日本数学協会の機関誌「数学文化」に掲載するものなので、多少数学的な色彩も強めた。
 夕食前に何とかできたので、編集長へ電子メール添付して送信した。
 画像の中には著作権に触れるものがいくつかあるので、夕食後に、使用許可申請の打診を同じく電子メールで送信した。
 何とか一段落した気がする。
 そうなると、次に力を入れるのは、和算家の解説書『和算と日本の歴史』(仮題)である。同時並行で、「大衆文芸」用の短編も書かねばならない。やれやれ、忙しさに終わりはないか。


10月3日(火)「ある日の風さんの巻」
 誕生月なので、あちこちから宣伝はがきが届く。電子メールも同じ。ただし、プレゼント付きはうれしい。単純に購買意欲をそそられる。
 今朝は定期健康診断があった。朝から絶食でのぞむので、降下剤を飲まなかった。しかし、血圧検査は問題なかった。不思議と正常値になってしまったらしい。視力までが昨年より良くなっていて、・・・もしかすると、消える直前のろうそくの最後の輝きかもしれない。でも、体重は増えていた。
 一昨日からまた雑用をこなしている。駒場での講演を原稿化するので、画像などの使用許可を当該機関に申請するのだが、その申請書を作成したり、あちこちへの手紙を用意したり・・・である。今朝も郵便を2通投函した。
 帰宅したら、また発注した『ラランデの星』20冊が届いていた。これで自費購入は250冊を超えた。
 夕食後ダウンしたので、午前零時過ぎに、こうして気まぐれ日記を更新している。

10月4日(水)「有言実行が生み出した負の遺産・・・の風さん」
 昨日に続いて、今日も少々疲れて帰宅。
 食卓に赤飯が出ていて、「え? なんで?」と思っていたら、1日が次女、今日は長女の誕生日だった。
 あるとき、とうとう堪忍袋の緒が切れた私が叫んだ。
 「もう、我が家ではバースデーもクリスマスもやらない!」
 家族のことで悩んでいた私の負の遺産が今も続いているのだ。しかも、怖いことに、私の頭脳は、しごくあっさりと自分の決断に従って、子供の誕生日まで忘れてしまう(もちろんワイフの誕生日は忘れない)。
 あれから何年が経過したのだろうか。
 今では、子供は子供の人生を歩き始めているのだ、と達観していて、私はもうイライラすることはほとんどない。
 そろそろ昔の宣言を撤回して、クリスマスぐらい復活させてみるか。

10月5日(木)「役作りが小説作りに通じる理由・・・の風さん」
 ここのところ毎日雨が降っている。今日は、夜、雨の降る中、ミッシェルで有料道路を時速100km/hで飛ばして帰ってきたが、ワイパーを使わなくても視界が良好だった。先日自ら処置した撥水コートの威力である。フロント・ウィンド・シールドに叩きつける雨粒が、ガラスの表面で見事に球形になり、風力で後方へ滑っていく。何となく爽快な気分になる。
 ワイフから、昨日参加した講演会の話を聞いた。PTAの関係の講演会である。講師は鈴木林蔵という俳優の方である。若い頃、劇団民芸に所属し、そこで宇野重吉から次のような勉強法を教えられたそうだ。
「電車に乗っているとき、目の前に座っている乗客を観察して、その人がどういう職業でどんな生き方をしているのか考えなさい。会話する人たちを観察して、二人がどういう関係なのか考えなさい」
 これは新鷹会で、長谷川伸先生から伝えられた小説の勉強法と全く同じである。
 以前から俳優の役作りは小説を作るのとよく似ていると思っていたが、これで合点がいった。
 エッセイを書いた雑誌『大法輪』が届いた。ちゃっかり『ラランデの星』を宣伝してしまった。ごめんなさい。

10月6日(金)「むかご・・・の風さん」
 会社の出張で講演を二つ聴講した。どちらにも感銘を受けた。そして、最も共感したことは、これからの日本の課題は教育にあるということだ。国全体で見たときの教育はもちろん、会社の中における先輩から後輩へと受け継がれていく伝承という形の教育もである。私も、目の前の課題を解決していくことだけに注力するのではなく、長い目で見た場合の課題である教育にもっと注力しようと思った。
 職場の飲み会を終えて、電車で帰宅しようとしたら、途中で爆睡してしまい、乗り換えるべき駅を通り過ぎてしまった。
 空に満月が出ていた。今日は、旧暦でいえば、八月十五日。中秋の名月である。
 やっと帰宅したら、食卓に怪しい物体がのっていた。皿に盛られた小石の山のようなものだ。大きさや形の粒がそろっていない。
 「これ何だか分かる?」
 とワイフ。
 「むかご、だろ?」
 と私。
 「へえー、よく知っていたね」
 広辞苑によれば、むかごは、ヤマノイモの葉のつけ根に生ずる珠芽(しゅが)を指す。
 「2年前に地域の歩け歩けのときに、近所の人が教えてくれたんだ。ご飯と一緒に炊き込むと、料亭の料理になるんだって。それまで、むかごは、虫の一種かと思っていた」
 「嘘でしょ。これ、トールペインティングの生徒さんからもらったのよ」
 「昨年、新鷹会で塩原温泉に行った時、ふもとの直売センターでパックに入っていたのが、200円くらいで売られていたよ」
 塩茹でしてあるむかごを一つ頬張った。ジャガイモのような味がした。
 「私も今日初めて知ったのだけど、よく見たら、うちの庭の梅の木にからまっていた」
 「山家(やまが)に住んでいるんだねえ」

10月7日(土)「まだあった忠臣蔵の話・・・の風さん」
 強風が吹き荒れる1日だった。ここでこんなだから、突然の冬の訪れで遭難が相次いでいる山岳地帯は、相当な厳しさだろう。
 その強風の中、ここのところ週一で続いている筋トレに行ってきた。自転車漕ぎの結果から見ると、ピーク時の6割になってきた。ウェイトはまだ元に戻せないが、いくらか慣れてきたと言える。できれば、休みなので明後日も行きたい。
 長辻象平さんの『忠臣蔵釣客伝』(講談社)を読み終えた。風景描写が実に見事な文章である。ちょっと真似できない。すごい。
 それ以外について言えば、自分と似た小説作法の作品に初めて出会って驚いた、というのが正直な感想である。自分と似ているということは、自分の書いたものについていは妥協してしまうが、他人が書いているという安心感からか、読者の視点での欠点も見えてくる。それは、すなわち自分の作品の欠点である。作者が努力して面白くしているつもりが、実は、読者の側からすれば、たいして評価できない面があるのだ。それが、この『忠臣蔵釣客伝』を通じて見えてきた。
 この作品の特徴は釣りという題材を通して忠臣蔵を描いていることだ。それが新しいというか価値である。忠臣蔵のあらゆる局面を釣り人の視点で描くことで、忠臣蔵のもう一つの解釈が出てくる。それはぜひ宣伝したい。
 ただ残念なのは、ここが私の欠点にも通じることなのだが、妖刀「村正」というケレンの世界が踏み込んできて、せっかっくの釣りの雰囲気が損なわれていることだ。また、刀剣に関する豊富な考証をからめるために紙幅を費やし、肝心の釣りの味わいが薄れてしまっている。エンターティンメントとして読む人には、それでも十分満足できるかもしれないが、香り高い文学作品になり得る可能性がそれで消えてしまった感がある。
 とは言え、新しい忠臣蔵である。拙著『和算忠臣蔵』を読まれた方は、次は、ぜひこの本を(笑)。

10月8日(日)「のんびりした日もある・・・の風さん」
 超多忙なワイフが珍しく一緒に喫茶店へ行こうと言い出したのでミッシェルで出かけた。
 陶器に描かれた絵の展示があったのである。作品はどれも手作りとは思えないものばかりだった。その教室の先生がいて、ワイフが挨拶を交わしていたが、名刺をもらっても返す名刺がない。自分だってトールペインティングの教室をやっているのだから、堂々と名刺交換すればいいのに。ないわけではなく、持って来ていないのだ。相手の名刺にはちゃんとホームページのURLまで記載してある。実は、ワイフの教室のホームページもあるのだが、私がまだ作りかけなので、一般に公開していないのだ。そうこうしているうちに、トールペインティング教室を開いているライバルまでやってきた。ライバルは、この陶器に絵を描く教室でも勉強しているのだ。陶器の絵描き教室の先生によると、ワイフの同門のライバルも既に見学に来たそうだ。女の戦いは熾烈だが、ワイフだけは蚊帳の外に(自分で)出ている(笑)。
 喫茶店は明治村にでもありそうな建築物で、雰囲気がとても気に入った。
 長女が初めてUSJへ行って来た。3連休だし、ハロウィーンということで、すごい混雑だったそうだ。人気のアトラクションは軒並み3時間待ち。その割には、たくさんお土産を買って帰ってきた。タフな娘だ。
 来週、社内で講演をする予定で、そのための特別バージョンのスライドをやっと完成させた。小説の書き方を紹介しながら、聴講者つまり会社の人間の仕事にも役立つ話をしてほしいというのが依頼内容なので、けっこう手こずった。

10月9日(月)「着々と体力だけは戻りつつ・・・の風さん」
 3連休最後の日は、風もおさまり、爽やかな青空が広がった。
 今日こそは書斎内の整理を、と始めたが、あまりの多さにやれどもやれどもほとんど片付かなかった。基本的に捨てなければいけないのだろう。溢れ返った本に埋もれながら、また3冊もネット注文してしまった(やめろよ、もう・・・)。
 時間がきたので、夕方からトレーニングに出かけた。7月23日に8ヶ月ぶりに復活してから9回目である。依然としてウェートは落としている。自転車漕ぎで測る心肺機能は、ピーク時の66%が出た。筋トレが進んで脚力がつけば、この値はぐーんと跳ね上がる筈だ。ただし、それには年内いっぱいかかるだろう。
 帰宅して、ゆっくり入浴してからもまた片付けを続けたが終わらない。片付けが終わらないということは、新しい仕事もはかどらないということだ。着々と体力だけは戻りつつあるが、執筆のペースはさっぱり戻らない。
 明日からまた会社で、計画通り行かない、不安定で、胸躍る毎日が始まる。来週末は、福島と東京である。

10月10日(火)「落合監督の涙に思う・・・の風さん」
 夕べ、突然花粉症が出て、苦しくて苦しくて、とうとう薬を飲んで寝た。
 今朝は、その後遺症か、終日、頭が重かった。
 その、今日は、とても好い天気で、日差しも強く、夏に戻ったようだった。
 超多忙な時間の合間を縫って、社内の某部署で部次長を対象にミニ講演をさせていただいた。会社の仕事をやりながら、どうやって小説を書いているのか、色々と知りたいことがあったようだ。短い時間で十分な説明はできなかったが、一つの結論として「デンソーに勤務していたから、こういった厳しい環境でも、多くの同僚や後輩、先輩たちの支援をもらいながら、小説家としてやっていける」と断言できる。
 財団法人秋田企業活性化センターから情報誌「Bic AKITA」が職場に届いていた。巻末の新刊紹介のページに『ラランデの星』が写真入りで載っていた。同センターの依頼で7月末に秋田で講演をしているので、その縁で取り上げてくれたのである。ありがたいことだ。
 帰宅したら、優勝までマジック「1」となっていた中日が、巨人戦で延長戦になっていた。
 めったにテレビを観ない私だが、落合監督とは同じ秋田市内の高校に通っていた同級なので、ちょっとした思い入れがある。気になってBS−1をつけた。バント失敗の連続で、イヤな試合展開が続いていたが、11回裏に井端のファインプレイと岩瀬の快投で流れを戻し、12回表、打線が爆発した。
 ウッズの満塁ホームランが出て、ベンチ前で抱き合ったところから、落合監督の涙腺はしまりがなくなった。恐らく12球団一と思われる猛練習に耐えた選手たちの活躍を見て、感極まったのだ。必死の努力をした者だけが流すことを許される涙である。

10月11日(水)「懲りない風さんの巻」
 昨夜も花粉症が出て薬を飲んで寝たが、今日は後遺症はそれほど感じられなかった。
 しかし、昨日に続いて、今日も気温が高く、特に雨上がりということもあって蒸し暑かった。
 ところで、これはもう病気みたいなものだが、風さんは景品に弱い。大変な浪費家である反面、何か得した気分にさせてくれる要素があると手が出てしまう。結局、それでお金を使ってしまうわけだから、浪費家たるゆえんかもしれないのだが。
 今回は缶コーヒーにミニチュアカーがついている。いつも飲んでいるブラックを何気なく昨日買ったのだが、車種が本田のインテグラだった。パックに入っていたチラシを見ると、全部で7車種あった。揃えたくなった。
 今日、出張で東京へ行ったら、キオスクでも売っていた。ただし、ブラックがなくてカフェオレだった。本当に喉が渇いていたので、手にとって車種をチェック。MR−Sだった。これで2車種・・・と。
 帰りにコンビニに寄ったら、またあった。車種をチェック。ミッシェル・・・じゃなかったユーノスロードスターとセリカをゲット。これで4車種だ。
 ニコニコして帰宅して、手に入れたミニチュアカーを並べて、チラシを再チェックしてみると・・・。
 ぎょぎょっ! ミニチュアカーはブラックコーヒーについているのが全7車種で、カフェオレにも同じく別の7車種がついている。合わせて14車種だ! むむ。全部揃えねば・・・(やはり病気だ〜)。

10月12日(木)「欲と得と・・・の風さん」
 朝からペコが元気だ。
 昨日、怪しい行動をとる(トイレでもないところでふんばる姿勢をとるが・・・出ない)ので、心配したワイフが動物病院へ連れて行った。診察してもらったところ、尿が詰まっているようなことはなかった。しかし、持参した少量の尿(もらしたサンプル)を検査してもらったら、血液が混じっていたという。膀胱炎か尿道炎が疑われたので、抗生物質を注射してもらって帰ってきた。とにかくシルバーと違って病院ではおとなしかったと言う。
 そのペコが何の問題もなくトイレに入っていた。
 やれやれと安心すると、今度は治療代が気になるから人間は勝手だ。あと2回ぐらい注射を打ちに行くことを約束させられている。
 今日は、本社出張の帰りに、コンビニに寄って、ミニチュアカー付きの缶コーヒーを買おうとした。すると、驚くべきことに、な・・・ない。ないだけでなく、景品の品物がミニチュアカーから何かのフィギュアに変わっている。そんなもの要らない。
 怒り狂いつつ、もう1軒寄ってみた。・・・と、あるにはあったが、何と、同じメーカーの別の種類のコーヒーについている。しかも、く、クルマが違う! ということは、3種類のコーヒーにそれぞれ7種類のクルマか?! 
 愕然としつつ、それでも2個を選別してゲット。
 もう、やめた。

10月13日(金)「実家訪問・・・の風さん」
 この間から同じタイトルの迷惑メールがじゃんじゃん来る。「Best For Your Health,・・・」というもの。サーバー上でWEB MAILを立ち上げたので3分の1くらいはフィルタリングされるが、SUBJECT(件名)でフィルターを設定できないのが痛い。書斎の執筆マシンにはSPAM MAIL KILLER が設定されているので、そこで全部落とせるが、ケータイではそうはいかない。
 久しぶりに実家の母の様子を見ようと福島へ出かけた。執筆で超多忙な期間が長かったので、ご無沙汰していた。とはいえ、電車を乗り継いで行くとなるとけっこう時間がかかる。最低5時間は必要だ。
 家を出てからも迷惑メールは間断なく発信されてくる。ときどきケータイでサーバー上の受信メールをチェックし、迷惑メールは片っ端から削除しなければならない。そうでないと、見たいメールが迷惑メールの中に埋もれてしまう。
 最近クルマの運転も控えている母を気遣って、郡山の駅からバスに乗って、実家近くの温泉まで行った。そこで母と合流し、温泉に入ってから実家へ向かった。母は運動不足で体を動かすのが億劫そうだ。年をとると、誰でもこうなるのだろうが、できるだけ頑張って欲しい。それにしてもここの温泉は気持ちいい。肌がすべすべしてくる。
 私には珍しく途中コンビニで缶ビールを買った。何となく今夜はエビスを飲んで寝たい気分だったからだ。
 実家に着いて、仏壇で手を合わせようと、真っ先に亡父の部屋へ入ったら、その部屋は野良猫の部屋になっていた! 野良猫のための寝床とトイレが置いてある。野良猫は昼間ここでのんびり過ごし、夜は外へ出てしまうそうだ。
 母の淹れたコーヒーを飲んでから、自室でケータイを使い、今日最後の迷惑メール削除をした。
 移動中は、例によって日頃の疲労がどっと出て、爆睡ZZZ・・・。読書できず。

10月14日(土)「戊辰役殉難者慰霊祭参列・・・の風さん」
 朝から秋晴れという以上に好天に恵まれ、母をセリカに乗せて、会津若松市へ行ってきた。第15回戊辰役東軍殉難者慰霊祭が、会津若松市の天寧寺で営まれ、咸臨丸子孫の会のメンバーも出席するからである。その上、事務局が新人物往来社の大出さんだった。
 母の家に福島県の地図がなかったので、セリカのナビに頼ることにしたのだが、行きは変なルートを指示された。遠回りの高速道路優先ルートである。でも、何とか鶴ヶ城にたどり着くことができた。
 北出丸付近にある鶴ヶ城会館の駐車場にセリカを停めたところで、目の前を咸臨丸子孫の会のメンバーが歩いていたのには驚いた。いくら同じ慰霊祭に参列するとは言え、偶然ということはあるものだ。歩いていたのは佐々木頭取と小杉教授方と北海道木古内町観光協会の多田副会長である。早速挨拶して、あとで天寧寺でお会いしましょうということに。
 それから母と会津日新館天文台跡へ向かった。私にとっては以前から訪ねたかった場所である。近いので徒歩だが、詳しい地図を持っていない。いつも通り、あてずっぽうの散策気分である。足の弱い母を伴っているので、それもいいだろう。
 見つけることができた。意外と普通の住宅地の一画にあり、よく残しておいてくれたと思った。デジカメでたくさん撮影した。ちょっとした築山になっていて、急な石段がついていた。母の手を引いて頂上へ登った。登りきったところは狭く、小さな祠があった。周辺には高層ビルがないため、けっこう見晴らしはいい。遠くの山々も見える。夜になれば今でも夜空がいっぱいに広がるに違いない。真っ青な空に下、爽やかな秋風も吹いている。やがて正午になり、どこかのお寺のつく鐘の音が風に乗って伝わってきた。
 私は、そこで母に、取材を通じた小説の書き方を講釈した。つまり、現地へ赴いて、当時の人の心境を想像することである。今日の場面で言うなら、100年以上も昔、もしかすると母親の手を引いてこの天文台に登った会津藩士がいたかもしれないと想像することだ。
 再び鶴ヶ城会館へ戻り、昼食後、母をそこへ置いて、タクシーで天寧寺へ向かった。近藤勇の墓のある曹洞宗のお寺である。
 既に読経が始まっていた。本堂には参列者が70人ぐらいひしめいていた。読経が終わると殉難者つまり幕臣や会津藩士の子孫の方を初めとする焼香になり、私も末席につらなった。
 会津藩家老萱野権兵衛の子孫郡修彦さんの祭文奉読はなかなか激烈な内容だったが、私は納得してしまった。ひと言でいうなら、戊辰役は薩長の力による政権奪取であり、その力の論理による過ちは太平洋戦争での敗北から、今日の経済至上主義までつながっているというものである。続く、会津若松市長の挨拶も似たようなもので、幕末に本当に日本のためを思って戦った祖先のことを後世に伝えていこうではないかというメッセージであった。昨今の親による子殺し、子による親殺しといった風潮に危機感を抱く者の、切実な気持ちでもあった。こういったメッセージは小説家の仕事だと思っていたが、他にも行動している人がたくさんいることを知ってうれしかった。
 続けて、会津若松市立図書館館長野口信一氏の講演があったが、私は呼んでもらったタクシーに乗って、途中で天寧寺を失礼した。
 待っていた母を乗せて会津若松市を後にしたが、文化遺産の多い土地である。また取材に来なければならない。帰りは国道49号線、猪苗代湖の北岸を通って帰った。既に、猪苗代湖には200羽もの白鳥が渡ってきているという。

10月15日(日)「表参道ヒルズ・・・の風さん」
 朝が目が覚めたらやけに寒く感じた。昨日がぽかぽか陽気だっただけに、今朝の寒さが激しく感じられる。
 金曜日の夜、実家へやってきたときと逆のコースで出発した。温泉の近くのバス停を8時22分に出るバスで郡山駅まで行き、新幹線に飛び乗った。
 朝からやけに鼻水が出る。花粉症か風邪か区別がつかない。
 今日は、昼に表参道ヒルズを探検する計画なので、大宮で降りて、新宿湘南ラインに乗り換え渋谷へ。さらに地下鉄で表参道へ行った。恐らく、ここで降りたのは初めてである。鼻水に加えて目もしょぼしょぼする。、くしゃみも連発するので、ここで花粉症と判断し、携行している弱い方の薬を飲んだ。すぐには効かないだろうが、いきなり強い薬を飲むわけにはいかない。副作用で体がだるくなるからだ。
 表参道ヒルズの中へ入った。ここへ来た目的は、貴族の女の子がデザインしたアクセサリーを売る店があるからだ。その話を家でしたら、ワイフと娘たちから「わー、今度、そこへ行って買ってきて〜」と言われた。サービスをしておかないと、なかなか風来坊作家は務まらない(なんのこっちゃ)。
 店の名前は「ガールズエンド」。とびきりの宝石ではなく、天然石系やビーズなどを駆使して、比較的安価にアクセサリを提供している。やたら高級でなく、デザインが売りなのが好感がもてる。
 鼻水をだらだら垂らしながら、店の中をぐるぐる10周するうちに、3人分のプレゼントを決めた。3人とも誕生日が近いのである。
 その後、花粉症が悪化したので、新鷹会に出席するのは断念し、渋谷で新幹線の切符を変更して帰宅することにした。新幹線に乗ってすぐ強い方の薬を飲んだら、まもなく爆睡状態になってしまった。
 帰宅したのは午後7時過ぎ。鼻水は止まっている。やはり花粉症だったのだ。ワイフは長女と来年から住むマンションを下見に行っていて留守。長男、次女と夕食にカレーを食べ、書斎で雑用に取り組んだ。

10月16日(月)「海を越えた『ラランデの星』・・・の風さん」
 新刊を出すと、海外の友人・知人へも送り届ける。もちろん数冊である。
 今回は、国内の知り合いを通じてハワイへ渡った『ラランデの星』の消息を伝えるメールを紹介したい。

風さん,こんにちは。ときどき貴兄のHPを
拝見し,超人的活躍に驚嘆しています。
ハワイの友人に御著「ラランデの星」を贈呈し
たと以前ご報告しましたが,早速彼の奥さんから連絡
がありました。
彼女の現在勤めているBishopMuseumでは
プラネタリウムを通して毎日星の話をしてい
るそうです。日本でも侍髷の人々が天を見つめ,
地形測量をしていた事実をかつてポリネシアの
人々が島々を旅していた事と絡め紹介している
そうです。毎日12時45分の一度だけは日本語
で説明するそうですが、毎回感動の声が日本人
観光客からあがるそうです。
忙しすぎる生活もはりがあっていいでしょうが,
お体だけは気をつけてください。それではお元気で!


 この方は、次のように続けている。

御著が海を越えて紹介され感動を呼んでいる事実
に私も感動しているほどです。われ等の祖先も頑張ってき
たんだということを子供たちにもしらせたいですね。


Bishop Museum

 インターネットでチェックすると、Bishop Museumというのはハワイ最大の博物館で、オアフ島にある。プラネタリウムも特徴のひとつらしい。
 ハワイ島には国立天文台のすばる天文台がある。夜空の美しい場所だ(行ったことはないが)。
 ・・・なんとも光栄の限りである。

10月17日(火)「気配り忘れ・・・の風さん」
 ハワイのBishop Museumの話をワイフに自慢げにした。そしたら、
 「最近あったハワイ沖の話はちゃんと付け加えた?」
 と言われてしまった。
 小説を書くには細心の気配りが必要である。自分のことだけで頭が一杯になっているようでは、まだまだ修行が足りない。

10月18日(水)「会社御用達作家・・・の風さん」
 ここのところ会社の仕事が忙しいため、帰宅も遅い。これでへこたれてはいけないので、せめて雑用だけでも処理しておくことにしている。月曜日に封書を1通、火曜日に葉書を2通、今日はゆうパックを2箱出した。
 勤務先のトップや最大顧客のT社のトップへも、拙著『ラランデの星』を販売もしくは贈呈させてもらっていることは以前書いた。まるで会社の公認作家みたいである。今日は、勤務先の監査役からも注文があり、販売担当に届けてもらった。こうなってくると、私の作家としての仕事に関して、監査役の監査を定期的に受けることになりかねないな(笑)。
 竹中工務店名古屋設計部の今年の文化祭ARTBOXの審査委員を委嘱された。毎年楽しみにしているイベントなので、審査委員をやらせてもらう今年は、格別楽しみである。

10月19日(木)「集めたぞ、ミニチュアカー10台・・・の風さん」
 ミニチュアカーの収集をやめた。それでも、10台は集められた。



 全部並べて眺めれば・・・やはり壮観である。そして、満足満足。
 ところがワイフからは、
 「さあ、早く自分の部屋へ持って行ってね」
 だって! 男のロマンが分からないんだなあ。
 辻仁成さんの芥川賞受賞作『海峡の光』を読み終えた。カッコいい文章だなあ。

10月20日(金)「母のクルマ・・・の風さん」
 2年ぶりに衛生管理者資格試験のための勉強を再開した。主に会社の昼休み時間に問題集をやるのである。老化とともに集中力が衰えているので、こういった勉強はけっこうつらい。
 母のセリカが来月車検となる。足の弱っている母にマニュアル車はつらいので、買い替えてやろうと思っている。もよりのディーラーの担当者とは既に連絡がとれている。さっき、母と電話で話した。来週、再び須賀川を訪問することにした。行きは飛行機である。9時35分に出発すれば、10時40分には到着する。その足でディーラーへ向かうつもりだ。
 ディーラーからはカタログを送ってもらっているので、母と展示車を見て確認するが、数年後には自分のモノにするという覚悟で購入することになりそうだ。そうなると、自分自身としてはまたスポーツカーが欲しい(困った病気だ)。

10月21日(土)「長女のマンション下見・・・の風さん」
 来年から名古屋で職につく長女が入居する予定のマンションをワイフと見てきた。
 早朝からあるいは深夜まで、と勤務時間が不規則でとても自宅から通えない。にもかかわらず、独身寮などの施設がないため、マンションを借りることにした。20歳にしてもう一人暮らしを始めるのである。親として心配でないと言えば嘘になるが、自分が20歳のときの幼さに比較したら、長女はずっとおとなだし、よくここまで成長したものだと感心している。
 マンションは新築の1DKで、一人暮らし専用である。平日の昼間は管理人もいて、まあまあセキュリティは整っている。しかし、安い給料で高い家賃はかなりの負担のはずだ。
 帰りにワイフと映画「ブラックダリア」を観た。俳優はカッコよくて魅力的だが、ストーリーもテーマもさっぱり理解できなかった。
 日本酒を飲みながらワイフと久しぶりに「チャングムの誓い」を観たが、こっちの方がずっと分かりやすい。
 今日は万歩計をつけて歩いた。11868歩だった。鈴木輝一郎さんには自慢できるな。

10月22日(日)「手持ちの本が減少・・・の風さん」
 勤務先の製作所のお祭りで出社した。午前中は衣料回収のボランティアのお手伝い。昼食に焼きそばと焼きとうもろこしを食べ、午後は職場の出店「綿菓子屋」でのんびりした。抜群に天気がよく、千人をこえる家族客賑わっていて、日頃の喧嘩のような職場の雰囲気が嘘のようである。
 買い物と給油をして帰ってきたが、天気予報通りに雨がぱらついてきた。
 それで、筋トレを断念して、作家としての雑用に励んだ。サイン本をゆうパックで送るのである。誰も手伝ってくれない一人制家内工業みたいな仕事なので、こういった雑用はひどく手間取る。
 夕食前までに終えたが、なんと、手持ちの本がかなり底をついてきたことが判明した。『円周率を計算した男』『算聖伝』『怒濤逆巻くも』である。ある程度のストックがあるのは、『和算忠臣蔵』と最新刊の『ラランデの星』、そしてアンソロジーの文庫だけだ。年内に補充しておかなければ。
 夕食後、万歩計をチェックしたら、9868歩だった。昨日よりかっきり2000歩少ないが、まあまあの歩数だろう。

10月23日(月)「初日は社長報告・・・の風さん」
 今日からまた会社生活が始まる。今週はイベントが目白押しで、かなり疲れそうだ。
 初日の今日は、夕方から社長報告があった。実は『ラランデの星』をまだ社長に届けていなかったので、報告資料と一緒に持参した。
 報告の代表者は私。副社長や常務2名も同席してもらえ、非常に良い議論ができた。成功である。
 仕事を終えて私だけ社長室に残った。
 おもむろに『ラランデの星』を出して、出版のいきさつを話し、最大顧客のトヨタ自動車のトップへも寄贈されることを説明したが、不思議と気にされていなかった。内容を把握しておいた方が無難だと私は思うのだが。とにかく拙著をお渡しして退室した。
 比較的早く帰宅できたが、夕食後、どっと疲れが出て、そのままベッドに倒れ込んだ。こういうザマだから、仲間から体の心配をされる。・・・でも、やはりそのうちポックリ死ぬかも。

10月24日(火)「職場で神事・・・の風さん」
 昨夜のダウンから目覚め、今朝の午前3時にベッドから抜け出た。それから入浴。少しだけ腹の中に食べ物を入れてから書斎へ。
 出社までかなり時間があったが、新鷹会の雑用だけで終わってしまった。来年度の「大衆文芸」寄稿計画の立案である。それらを印刷して、伊東先生宛ての手紙をしたためた。
 どうも朝っぱらから鼻水が出て困る。花粉症らしい。先日の反省をふまえ、最初から強い薬を飲んだ。
 ミッシェルで走っていると、セイタカアワダチソウが群生している。周期的にススキと立場が入れ替わる。おかしな植物だ。そもそもこのセイタカアワダチソウ、北アメリカ原産の帰化植物である。うっかり時代小説に使うとバカにされる。
 そういえば、昔十朱幸代がセイタカアワダチソウの歌を歌っていた。根っこから毒を出して繁殖する恐ろしい雑草の歌を歌っていたのである。しかし、こんな古い話、知っている人は少ないだろうなあ。
 伊東先生への手紙は出社途中でポストへ投函。
 今日は、職場に設置した神棚にお伊勢さんのお札を納めて、神主さんにお祓いをしてもらう安全祈願祭だった。職場の長として、玉串奉奠もさせてもらった。神事のあとの直会(なおらい)では、全員がお神酒をいただいた。年末の大きな会議まで気を引き締めて仕事をしなければならない。そのための祈願祭でもあった。
 午後も不思議と多忙で、結局、帰宅は午後9時半になってしまった。眠い〜!

10月25日(水)「超健康体・・・の風さん」
 今月は私の誕生月なので、会社では定期健康診断があった。さまざまの検査を受け、その結果が届けられた。開封してビックリ!
 あらゆる指標が標準的と言う以上に、超健康体であることを裏付けている。特に血液検査や尿検査の結果など、模範的な数値だった。もちろん他の心電図、エックス線、超音波などの結果も申し分なしである。これだけ良好な結果が出ていると、かえって、最後の命の輝きかと思ってしまう。明日にもポックリとか・・・。
 私の健康を祝うかのように、某大学からの講演依頼が届いた。もちろん引き受けるつもりだ。さらに、勤務しているデンソーのトヨタ部から、『ラランデの星』追加注文20冊があった。また、トヨタ自動車へ贈呈されるのである。トヨタ車買わなくっちゃ。
 今日は朝から本社へ出張し、いったん製作所へ戻ったが、定時後にまた本社へ出張し、9時半過ぎに帰宅した。居間のテレビがついていて、中日が0−3でリードされていた。明日も本社へ直行しなければならない。健康人は忙しい。

10月26日(木)「新庄の涙・・・の風さん」
 中日が4連敗でまた日本一を逸した。完全な敗北だったが、それ以上に日本ハムの勝利は見事であり、さらに新庄の涙が印象的だった。かつてスポーツの世界で涙といえば、アマチュアの特権であり、プロの選手には許されないものだった気がする。それがどうだろう。現代の若者の無気力・無感動・無関心とは関係ないように、スポーツの世界ではひたむきに努力する若者の姿が見られる。その努力の証しとして、結果が出たときに心も体も打ち震えて喜ぶのである。その極致が涙になって現れる。精一杯やった者だけが許される最高の感動だろう。観客もそれを見て共感する。「よくやった」と。
 プロ野球で最も人気のあるチームよりも、他のチームの試合でこういった風景が見られる。人気の点で劣っていても、努力の点では決して負けていないのに違いない。感動させてくれるチームに人気が集まる。当然の結果であろう。

10月27日(金)「午後有休をとって得た時間は・・・の風さん」
 会社の同僚からよく質問されることに、「忙しいはずなのに、どうやって執筆の時間を作っているのか?」というのがある。
 特に私が超人だからできるのではない。
 作家としての仕事がとどこおっているため、挽回しようと、今日の午後を有休にした。時間は作らなければ得られない。
 帰宅したが、非常に疲労感を覚えていた。体力がないのだ。筋トレに行こうと思ったが、その気力も湧かない。
 とりあえず、トレーニングするための格好に着替えて、ベッドに倒れ込んだ。目が覚めたら体育館へ行くつもりだった。
 が、目覚めたら、あたりは真っ暗。既に6時だった。筋トレは中止。
 日本数学協会の会誌「数学文化」のゲラが届いていたので、その校正作業をやった。それから、手紙を2通作成した。その時点でもう午前零時寸前だった。

10月28日(土)「母を訪ねて三千里?・・・の風さん」
 福島県に住んでいる母を訪ねるため、セントレアから飛行機に乗る予定だった。
 目が覚めたら、頭痛と発熱、体の節々が痛く、腹痛もある。典型的なウィルス性の風邪。昨日の午後のダウンにはそういう意味があったのだ。
 ところが、症状は私よりもワイフの方が重かった。昨夜、早々と就寝したワイフも、それなりに体調の異常を感じていたに違いない。
 早速、家にある薬を探し始めた。以前、病院でもらった抗生薬メイアクト100が4錠残っていた。ところが解熱剤のバファリンが1錠しかなかった。小児用バファリンはたくさんあった。
 私は先ず抗生薬を1錠飲んだ。
 それから、ワイフにヨーグルトを食べさせてからバファリンを飲ませ、抗生薬を2錠とスポーツドリンクを置いて、氷枕をあてがって、ミッシェルで空港に向かった。ワイフは町の文化祭にトールペインティング教室の作品を出していて、今日からが公開なので、その接客に行くのは無理だろう。もしかすると、地元の友達の夜の飲み会にも参加できないかもしれない。
 セントレアのドラッグストアでバファリンを買ってすぐに飲んだ。
 行きの機内では天井からの冷風を止め、ドリンクサービスも熱いコンソメスープにして、約50分間じっとしていた。
 その甲斐あって、福島空港に着いたころには、症状はかなりおさまっていた。
 福祉までの用事は母のクルマの買い替えの件だったが、なかなか母と意見が合わず、交渉は決裂、作戦は失敗に終わった。
 ほぼ半日がかりの交渉で風邪がぶり返してしまい、午後9時前に布団を何枚もかぶって寝た。

10月29日(日)「鳴海家ほぼ全滅・・・の風さん」
 午前6時にいったん目が覚めたが、症状に変化はあまりなかった。しかし、行動できないことはない。
 さらに3時間寝て、9時に起きた。出発は11時5分発の飛行機である。
 昼過ぎにセントレア空港に戻ってきた。着いてすぐワイフにメールを入れると、昨日から長男と長女も同じ症状でダウンしているという。すぐに電話して、薬を買ってきてほしいと頼まれた。
 セントレアのドラッグストアで症状を話して抗生薬をもらおうとしたが、そこにはなく、また医師の処方箋がないと薬局でも売れないという。似たような薬でもいいと言ったが、結局、胃腸にやさしい解熱剤と栄養ドリンクを勧められた。水分を補給しながら熱を下げるのが一番とのこと。当然のアドバイスだ。
 帰宅して驚いた。回復していると思い込んでいたワイフが昨日よりも悪そうな状態でベッドに寝ていた。ベッド脇を見ると、抗生薬を飲んでいない。
 「何も食べずに飲んではいけないかと思って……」
 「……」
 文化祭の展示の片付けに行かなければいけない、と言うので、ついていって、作業を手伝った。帰りに夕食の買い物もして帰宅したが、さすがに疲れたので、1時間ほど横になった。
 長女も重態で、残っていた抗生薬も飲ませた。
 長男は比較的軽く、夕食時には階下におりてきた。
 私は、まだ腹痛が残っているが、やらなければいけないことがたんとある。小説家へ復帰の道は険しい。
 
10月30日(月)「久々に『ラランデの星』書評紹介・・・の風さん」
 最近出た『ラランデの星』の書評を二つ。
 一つ目は、大阪市立科学館の友の会で出している月刊誌「うちゅう」で、学芸員の嘉数次人さんが書いてくれた。子供からおとなまで読む月刊誌なので文章に工夫がされている。この嘉数さんとは、一昨年11月に、高橋至時没後200年を記念する天文学シンポジウムが、東大本郷キャンパスであった時、初めてお会いした。先日の小林龍彦先生と同様、専門家の方が読んでも納得していただける作品が書けたことが実にうれしい。また、そういった専門家の方の小説の読み方は、文芸評論家の方よりもある面妥協を許さない部分があって、書き手としては油断ができない。
 二つ目は、「ぺるそーな」である。贈呈本が送られてきて初めてこの本の存在を知ったのだから、ある意味、罰当たりとも言える。「ぺるそーな」の宣伝文句は、「各業界の著名人が政治や経済などの問題を取り上げ、精選されたメッセージを伝える、21世紀のジャイロスコープ・マガジンです」とある。『ラランデの星』の書評は80−81ページの「出世したければ本を読め」という過激なコーナーにある。約1ページを割いて、私の作品を具体的で的確に分析してある。『ラランデの星』のような原稿用紙700枚もの長編を、これだけきっちりと書評するには、かなりの集中力と知性を要する。ただし、どなたが書かれたのかは不明である。
 その前のページに原稿を書かれている志村史夫先生とは、1998年に中部産業連盟が主催する「創造の船」で講師としてご一緒させていただいたことがある。名古屋港から中国の天津港まで8泊9日の洋上セミナーだった。「ぺるそーな」11月号の執筆陣で存じ上げている方は、この志村先生だけだった。

10月31日(火)「大先輩の厚い胸・・・の風さん」
 5時に起きて、まだ寝込んでいるワイフの代わりに、次女を最寄の駅まで送っていった。私もまだ腹痛が残っているが、たいしたことはない。
 本社へ出張し、来客対応した後、重要な会議に出席した。これがだいたい満足のいく結果になったので、久しぶりに気分がよかった。
 会議が終わったのは12時半近かったが、昼ごはんを食べている余裕はなかった。すぐに会社のゲストハウスへ向かった。もともとワイフに頼んでいた用事があったのだが、結局、自分でやることになってしまったのだ。そこで、5人の女性を相手にいつもの熱弁をふるってしまい(おそらく呆れていたことだろう)、時のたつのも忘れた。
 午後2時ころ、コンビニでパンを買って昼食にしながら、ワイフにケータイで「またやっちまったぜ」と後悔の弁をたれた。
 再び本社へ戻り、トヨタ部でトヨタ自動車へ配る予定の拙著にサインをした。それから所属の部署で小一時間打ち合わせをした。さらに、役員のところで用事をすませてから、今日、2回目の会社のゲストハウスへ向かった。もうすぐ退職される大先輩の謝恩会を、うちの室で主催していて、私は室長として司会進行役を務めるのだ。午前中の重要な会議がうまくいったので、気分は乗っている。既に何人かの部下が会場で準備を始めていた。
 100人もの参加者があって、メニューも盛りだくさんの謝恩会は、とってもアットホームな雰囲気の中で、楽しく終えることができた。お別れのときに退職される大先輩が抱きついてきてくれて、非常にうれしかった。この大先輩の厚い胸を何度も借りたし、大きな背中を何度も見上げながら歩いてきたのだ。
 帰宅すると、ワイフも子供たちもだいぶ病気が快方に向かっていて、久しぶりにビールを飲んで寝た。

06年11月はここ

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